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04.2021

 かねてより機会を待っていたことに、着手した。それはまるで自分自身の中に、毎日ちいさな革命が起きるような習慣だ。何かをひとつ覚えるたびに、頭の中でぱちぱちと火花が散っているような気がする。これをやるなら今しかないと、時期を見逃さなかった自分自身を褒め称えたいが、その余韻に浸る暇もなく日々は過ぎ去っていく。

 いつでも、何事に対しても全力で挑むところを、自分自身の長所だと自覚している。そしてそれは同時に、短所になりうるということも。つまるところ私は、極端なのだ。全開で踏むことしか許されないアクセルを積まれただけでなく、ブレーキまで取り上げられてしまった車のように。出荷された瞬間から、燃料が切れるまで「走り続ける」という選択肢しか用意されていないから、しばしば自分自身を制御できなくなる。

 そうやって息を切らしながら、ふと周りを見渡して驚いた。爛漫としていたはずの花々たちが、いつの間にかその姿をすっかり若葉に変えている。まったく、これだからかなわない、と思う。洗練されつくしたその変化と、自分の未熟さを比較して呆れた。たかが人間ごときが大いなる自然に、そもそも勝てるわけないのだが。おとなしく自分の負けを認めながら、大きく深呼吸して、去り行く春の気配ごと私は、新しい空気を吸い込む。まだまだ、もっと遠くへ、走り続けるために。

 母語と外国語について学びを深めていくことに比例して、「距離」という概念について考える時間が増えた。興味深いことに、「相手との距離が親密度に影響する」という法則は、すくなくともいくつかの言語における共通項らしい。ここでいう「距離」とはおもに、心的なものを指し、それに応じて相手に対し使う単語を選んだり、話し方を変えたりする。なるほど、だから、と腑に落ちたことがある。

 一般に人間関係において、とくに親しい間柄ならば何事も共有するのが美徳で、相手と近ければ近いほど良いとする風潮が少なからずあるように思う。しかし個人的な意見を述べるなら、これは非常に迷惑な話だ。反吐が出るほどに。ここから先、他人は絶対に立ち入ってくれるなよと定めた境界線を持つ人間からすると、そこを侵略しようとする者は敵以外の何でもない。だいたい、相手のすべてを知りたいなどという幻影めいた感情を抱いた愚か者は、いずれ必ず相手への敬意を失う。そしてそれは、ひとつの人間関係が終焉する合図に他ならない。

 よって、だ。私にとって、一定の「距離」とは、対象がその美しさを失わないためになくてはならない要素なのだ。遠くから眺めていてきれいだと感じた山に近づいて登ってみたら、乾燥した岩肌の質感にがっかりしただなんて、傲慢にもほどがある。注釈しておくが、これは自戒だ。適切な距離を見失わず、それをきちんと測れるものさしを、私はどんなときも胸元から優雅に取り出せる人間でありたいのだ。

 

03.2021

 足元を見れば、融けた雪の下から新しい芽が顔を覗かせている。頭上を見れば、桜の花がこれでもかと春の訪れを知らせている。なめらかな速度でものごとが終わりを迎え、おなじ速度でべつのものごとが始まっていく。そういう区切りを風の匂いの中に感じるたびに、季節があってよかった、と思う。

 そうして、そわそわと落ち着かない心の行き場を探しながら、私はいくつかの個人的な課題に決着をつけた。長い間、私の四方を囲んでいた壁。あまりに高く、あまりに硬く、きっとこのままこの中で生きていくのだと思い込んで触ることすらしなかったそれを、ふと叩いて見ようと思ったのは、春の為せる業だろうか。

 いちど決めたら、迷いはなかった。深呼吸して拳を握り、振りかぶって、正面から殴る。壁は、弾けるように音を立てて壊れた。その感触のあまりの軽さに驚きながら、しかし、私は気がついた。–この壁は、壊されるのを待っていた。さらさらと風に吹かれて消えていく破片を眺めながら、間違いなくそうだと痛感した。ああ、そして、ここへきてまだ私には、自由になる余地がある。

 感情的になっている人間は、理由がなんであれ醜悪だ。だから私は、いかなるときも冷静さを失いたくない。そこで私は、私自身が愉しく、好ましいと感じる対象について考えた。それらはどれも、ある方針のもとに作られた濾過装置を備えているように思う。魅力はその工程にある。まずもって、途中で紙を一枚噛ませるという行為には、おそろしいほどの色気が含まれている。のみならず、その紙があることで余計な熱は冷め、汚いものは引っかかって落ちてこないのだから優秀だ。くわえて、一滴ずつ垂れてくる液体を待つ時間の、これまた甘美なこと。

 さて、条件は揃った。己の欲と感情を懐柔して、思い通りの結果を抽出する「よくできた紙」に、私はどれだけ近づけるだろうか。

 

02.2021

 地球の気まぐれに翻弄されながら、寒暖の境目を歩いた。しかし冬は強い。片鱗を見せた春の気配を追い返すようにして厳しく頰を突き刺す風に負け、外出を臆する日々が続く。結果として私は、あらゆるものを手放した。かつては自分の一部と言っても過言ではなかったはずのものたちに、非情なまでの決断を下していく。なにかがひとつ自分の手から離れるたびに、自由に一歩近づくと信じて。

 そうしてこれまでに、どれだけの別れと対峙してきたのだろう。すべてを捨てても私は変わらず私のままだと言うのなら、独自性とはいったい、何を指すのだろう。仮にこの肉体が朽ちても、かつて私が存在した事実が、誰かの記憶にまたは何かの記録に残り続けるのなら、何が生死を分けるのだろう。

 ときおり、おそらくはもう二度と会えないだろうという人びとの夢を見る。目が覚めて、天井を眺め、それが夢だったと気がついてから、もう一度目を閉じる。ついさきほどまで触ることのできる距離に居た彼らを、もう一度まぶたの裏に映す。そうして私が浸るのは、希望に満ちた諦めだ。淋しさという感情が、比較的希薄であるということを自覚したのはいつだったか。たしか、他人から指摘されたのが契機だったはずだが、もうすっかり忘れてしまった。しかし、その由縁はこれかもしれないな、と思う。だってわたしは、望めばいつでも彼らに会える。それはときに、現実よりもずっとうつくしいかたちで。

 

01.2021

 白。何かが何色にも染められていない状態を指すとき、人は往々にしてこの色を使う。あまつさえ、好ましい意味合いとして。私もその例に漏れず、その色でもってさまざまのものごとを形容してきた。その白が、すべてを染めてゆく光景を目の当たりにするまでは。

 雪が降る音、をしばらく聞いていなかったせいで、それがこの世界に存在する一切の音と引き換えに手に入るのだということを、私は忘れていた。泣き声も、笑い声も叫び声も、初めからそんなものは存在していなかったとでも言うように、降り頻る雪の中へ吸い込まれていく。あまりの抗いようのなさに怖くなって、思わず、雪がこんなにも白い理由を考えた。そして、答えが見つかると同時に、私は思い出す。光の世界では、すべての色が混ざり合って出来るのは決まって白だということを。何もかもを帳消しにだってしてしまえる、その強さを。

 以前に比べて、私は自分自身を随分と細部までただしく愛せるようになった。しかし皮肉にも、それと比例するようにして、人間という生き物の欲深さが浮き彫りになる。今もどこかで起こり続けている、目を逸らしたくなるような数々の問題を列挙しながら、私は下を見て立ち止まった。平等とは何か、という思念に絡めとられて、こうしてときどき身動きが取れなくなる。とりわけ最近は、自分の手の届く範囲外のことにまで意識が及ぶのだからキリがない。ほかの誰かを救いたいなどという欲求は独善に過ぎないと、私は一体いつになったら学ぶのだろうか。

 解決策はとうに見つかっていて、ただそれを見失わないようにするだけなのだ。完璧を目指さないこと。完全などありえないと知ること。去年より今年、昨日より今日、できることが一つでも増えていればいい。止まっていた足が動き出す。だから前を見て、歩くだけ。世界が眠りにつくまで。

 

12.2020

 世界が混乱に陥る前のこと、住む場所を変えた。帰ってきた、と言うべきかもしれない。10年前に、10年間を過ごした土地へ。そうして思い出すのは当然のことながら、当時の自分が何を考えて生きていたのか、だ。かつての私は、ここさえ離れて環境を変えれば、同時に何かが変わると信じていた。ここには何もなくて、ここではない別の場所にはきっと特別な、私の望む何かがあって、だから、だから私は。

 そう思って移り住んだ都会で、だけど自分の影は、どこへ行ってもついてきた。影は、灰色の空を見上げて自分が何者でもないことを噛み締めながらビルの狭間を歩く私の足元で、呑み込まれてしまいそうなほど濃くなったり、タクシーの窓から見えるネオンが溶けて滲むまで声を殺して泣く私の足元で、消えてしまいそうなほど薄くなったりしてコントラストを変えながら、静かにしているだけだった。

 そうして、10年が経った。今、私は単に私としてここにいて、影を切り離そうとすることを辞めた。諦めたとも、受け入れたとも言えるだろう。未来という光に照らされた今の私の足元には、いつだって過去の影がある。それでいい。ただ立って、歩いて、たとえ何処にいようとも、美しい仕事を積み上げていくだけ。限定された条件でしか力を発揮できないなら、それは何であろうと偽物だ。裏を返せば、どこにいても、誰といても、何があっても本物は常に本物なのだ。

 誰かを傷つけたり誰かに傷つけられたりしてはいけないと自らを縛り上げていた時期が、たしかに私にもあった。そうやって正義の鎧を纏って生きていれば、きっといつかは何もかもを救えると信じていたのに、裁いても裁かれても、完璧なはずの鎧は、いつも気付けばどこかが綻んでいた。

 鎧を脱いだ瞬間のことは、もう思い出せない。けれど私は、いつからか裸になって生きることにしたのだろう。やっぱり気づくとどこかが傷ついていて、昔と違うのは、次第にその傷すらも愛せるようになってきたことだ。少し血が出ても、いつか治るから大丈夫。たとえ痕が残っても、それすら含めて愛せばいい。だから、もう何も怖がらない。今よりもっと、強く優しく美しくなる。深く深く息を吸って、深く深く吐き切ったら、凛として揺るがずに。愛ですべてを救えるように。

 

11.2020

 色を変えて散り続ける葉を眺める。あまりに短く暑すぎた夏に翻弄され、草木とて狂ってしまいやしないかと懸念したが、杞憂に終わった。儚く見えるものこそ実は強いのだということを、まったく今までに何度思い知っただろう。

 本気で何かに集中するとき、いつもそれが合図のように、世界から音が消える。澄んだ空気と光の中に私の意志だけが残り、自分自身と否応なく対峙しなければならなくなる瞬間。緊張感に満ちた集中力を発揮し続ける日々が続いて、その中でいくつもの決断を下した。そうして、自らの手によって未来が動き始める音が聞こえると同時に、私は意識を取り戻す。迷いも、後悔もない。私なら出来る。だから、大丈夫。

 「あたらしい生活様式」とやらに別段の抵抗もなく、順応していく自分の有様を、愛おしいと思う。時代に即した柔軟性は、他人の持つそれであっても見ていて気持ちがいいものだ。あまりにも有名な哲学者が、「絶望」こそが死に至る病だと言った。何の異論も反論もない。けだし、難儀なのは対にある「希望」に、説得力を持たせ続けることなのだ。ある意味で、世界中の誰もが平等に不遇な状態と言える今、明るい未来にまなざしを向け続けようと思うと邪魔が入ることこの上ない。必要なのは、地道な訓練だ。日々の隙間に潜む揺るがない尊さを、どんな状況でも見失わないため。すべては運命のままに。

 

10.2020

 大層な時間を費やして、自分にまつわる膨大な量の書類と写真を整理した。あちこちに散らばった私自身のかけらを拾い集め、淡々と纏めていく。そうして、今の私が想定していたよりもずっと多くの日記を、過去の自分が書いて残していたことに驚いた。古い箪笥の中にある、長らく放っておいた引き出しを開けたら、万華鏡を見つけてしまった−というとき、人はこんな気持ちになるのではないだろうか。いつ覗いて見ても、きらきらと表情を変え続けては私を飽きさせない。そして、時折思い出したように振り返るからこそ、思い出は美しいのだ。ある時期に親しくしていた人びとや、頻繁に訪れていた場所の名前を目でなぞり、郷愁にかられる。色濃い時間を過ごしたそこは、私が費やした熱量に比例して、いつ帰ってもきっと、あたたかく迎え入れてもらえる港になった。

 その一方で、私はかつて私を脅した妖たちのことをも思い出した。彼らは、「若さこそが絶対的な価値であり、それを内包しているからこそ君は美しいのだ」と、若き日の私に説いた。しかし十年の月日を経て、それがまるで詭弁であったことを、今の私が証明した。よって、だ。すべての醜い妖怪たちへ告ぐ。本当に、糞食らえである。人生の、どんな側面からどう切り取っても、私の過去に不要な時間などありはしない。そして、今の私は完全に、私自身が積み上げてきたものの上に立っている。人は、そう簡単には変わらない。というか、変われないのだ。たとえ、時にそれを望んだとしても。

 私は人生のあらゆる段階において、その時々の自分にとって特別だと言い切れる人びとや物ものと、生活を共にしてきた自負がある。そしてそれは、(当たり前かもしれないが)歳を重ねるごとに顕著になっていく。それどころかこの頃は、自分自身の歴史を築くことに加えて、ほかの誰かがすでに歩んできた道すら愛おしいと感じる。だから私も、残す意味のあるものを作り、残す価値のあるものを守りたいと思うのだ。普段は、その重要性すら忘れてしまうほどに何気なく身につけていたけれど、手放さなくてはならないと分かった途端に惜しくなるような。または、何度転居を繰り返しても、これだけはなぜだか捨てられない、というような。大事な局面にこそ、その真価が現れるようなものを。

 

09.2020

 気がつけば空を見上げていて、空を見上げるたびにうろこ雲を目で追った。秋の初めはきっと、誰しもがその寂寞を憂う季節なのだろう。それを裏付けるように、「九月」の名を冠した作品を、いま思いつくだけですぐにいくつも挙げられる。皮肉にもそんな月に生まれた私は、またひとつ歳を取った。

 強いて言えば、外国語の勉強に注力した区切りだったと思う。新しい単語を覚えた瞬間から、その前に覚えたはずの単語を忘却していく恐怖。言いたいことが相手に伝わらないもどかしさ。どれだけ勉強したところで、お世辞にも流暢とは言えないのだという、諦めにも似た絶望。母語以外の言語を学ぶことは、そういうたぐいの焦燥を背負って、自分の掌で砂を掬い続けるような作業だと、つくづく思う。けれど、私は莫迦だから、忘れられないのだ。救ったそばからさらさらと落ちていってしまうその砂の中に、生まれてきた意味すべてがそこに表れたような、ひときわ輝く小さな粒を見た、あの日のことを。ひと目見たと思ったときにはもう、指の間を通り抜けて、二度と戻ることのなかったあの輝きを、もう一度だけこの目で見たくて、だから私は今日も砂漠でひとり、水も飲まずに砂を掬い続けるのだ。

 他者との関係性に名前をつけたり、ましてやそれを、これから棚に陳列でもするかのように分類することが、昔から大嫌いだ(そのうえ、そうして誰かが定めた枠を振りかざして、私に近づこうとする人間が未だに存在して本当に辟易するのだけれど)。私から言わせれば、お互いが遺伝子情報の異なる個体であるという時点で、他者と「分かり合える」などと信ずるほうがどうかしている。なぜなら私にとっての「愛」とは、理解できずとも否定せず、そのままを、そのままに受け入れることなのだから。そうして呼吸をするたびに、「常識」とは何だろうかと考える。誰かにとっての当たり前が、他の誰かにとっては必ず異常になりうる(そのまた逆も然り)ということを、常に認識し続けることこそを、「常識」と呼ばずして、何と…。…ああ、これだから私たちは。

 

08.2020

 自分の内部で鳴り響いている自分自身の声を、外部に出していく作業を淡々と続けた数ヶ月の統括。そう思うと、あまりにも、あまりにも短い夏だった。この数ヶ月における私自身の価値観の変化は、今までの人生をそっくり繰り返すまでに匹敵するかもしれない。それほどに、すべてが、大きく変わった。そして、自分にとって本当に必要なことがらたちが、次第に浮き彫りになってもきた。そうだとしても、すべてが、ただ、そうであるということ。潮が引いたあとの浜辺に残った取るに足らないものものを眺めているとき、きっとこういう気持ちになるのだろうと思う。

 今でもはっきりと、憶えていることがある。つまるところ、ひとは、自分が見たものを、自身が見たようにしか表現できないのだと、私が真に悟った瞬間だ。幸か不幸かその日、この世界から、自分自身ただひとりを残して、私の”敵”はみんな消えてしまった。半分ずつの希望と絶望からちょうど等しい熱量で襲われ、二律背反の感情に苛まれた私は、「この世界が美しいことを証明せよ」という命題を与えた神の存在を恨んだ。真実だけを暗中模索し、世界に対して示し続けると同時に、そのすべての責任を取らなければならないなんて。それは本来、罰と呼ばれるものではないだろうか。そんな自問もとうに虚しいことは分かっていて、だってどう足掻いても、それに気が付く前の世界には、もう戻れないのだ。

 伸るか反るか、挑むか死ぬか、だ。ならば、やるしかないだろう。筋道は立っている。私が五感で享受するものが美しく、とりわけ私の観測する景色が美しく、私自身が美しいとすれば、それは即ち「この世界が美しい」ことの証明になりうる。必要なのは、”零”の水準を、自ら底上げし続けること。私に必要なのは、もう、それだけだ。