02.2024
神聖な儀式に始まった今月は、冷気に加えて霊気に身体が包まれている。空気の音に耳を澄ますと、僅かだか確実に、そこへ春が含まれている。日が長くなり、青空を眺める時間が増えたからそう感じるのかもしれないが。
列車に揺られて、ぼんやりとした頭で距離という概念について考えると、それがなにか、切なくも愛おしいものであると思えた。私は未熟だから、視野が狭くなるとすぐに自分を見失う。余裕を欠いて、大切な人々に対して心にもないことを口にする瞬間すらある。軸と指針を持っていると自負しているはずなのにこの有様だ。自分自身が弱く、どこまでも脆い存在だと認めなくてはならない。
そして、だからこそ距離に、そこに付随する時間と空間に、根本的な痛みをたびたび癒される。あらゆる事象から離れて今この瞬間に立ち返ると、過去も未来もあまりに遠く、まるで存在していないかのように思えるのだ。
公私を問わず無作為に人と会い、それぞれが持つ背景に意識を傾ける。見知った誰かが、はたまた見知らぬ誰かが、あらゆる悩みを抱えていてもなお、現在を平穏無事に生きているという事実もまた、私を救う。
途方もなく人間を、人間という生き物を愛していると思い知ったのはいつのことだったか、もう忘れてしまった。もしかしたら、最初からそうだったのかもしれない。もしくは、「最初」よりもずっとずっと前から、そうだったのかもしれない。そうでなければ、誰かとの関係性に傷つき悲しんでも、そういう自分ごと全部赦して受け入れてしまう私の在り方に、説明がつかない。
だから、何があっても、私は最終的に真っ直ぐ前を向く。この美しい世界に、光が差す限り。
01.2024
眩暈がして、身体から温度が失われていく。息がうまくできなくて、何か言葉を発しようとすると代わりに涙が出た。なぜ、という問いはどこまでも無駄で、虚空に消える。世界のすべてが緩慢に動く。悪い夢なら覚めてほしいと真に願ったが、それもまた無駄に終わった。
何も考えられなくなり部屋に篭ると、窓の外で雪解け水が流れる音だけが聞こえ、耳を澄ます。いつまでもいつまでも止まない音に、自分が生きていることをふと思い出し、立ち上がり窓を開ける。驚くほど冷たく澄んだ空気が部屋と肺を一度に満たし、否応なしに目が覚めた。私は、生きている。誰の代わりでもなく、私自身として。その事実を思い知りまた泣いて、涙の温かさを疎ましく思う。
地上の楽園について思いを馳せて久しい。私の心は常に「ここではないどこか」にあったが、今は「ここではない特定の場所」にある。こぢんまりとして清潔で、とても好ましい土地。完璧な場所などないこと、あったとしてそれが幻想であることくらい理解している、…つもりだ。
何より、逃避が即ち悪事とされるのは納得いかない。希望を失わずに生きていくために、人には心の拠り所が必要なのだ。時としてその対象と、物理的な距離があっても構わない。そして愚かな人間は、楽園に辿り着いてもまだ挑戦を続ける。約束された孤独を謳歌しながら、傷ついてもなお、何度でも立ち上がる。実に愚かだ。愚かで、美しい。
しかしまあ、現実にも目を向けることにしよう。凶器のように尖った太い氷柱に、風が吹くたび舞い上がる粉雪。うんざりするほど寒いが、愛すべき冬だ。これはこれで、なかなか悪くない。