哲学を着る

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 この服は、わたしが来るのをここで待っていた。手に取った瞬間にそう感じるたぐいの洋服と、ときどき出会う。ほとんどの場合、古着屋で。

 ヨーロッパはチェコ共和国の首都、プラハ。そこに1年滞在しているあいだ、古着屋めぐりが趣味のひとつとなった。きっかけはプラハで出会った日本人のお姉さん(わたしと同じ名前で、ちょっとした有名人だから調べればすぐにでてくると思う。彼女とのエピソードも事欠かないから、また別の機会に。)で、ひと癖もふた癖もあるアイテムを懐柔して華麗に着こなすさまには、実に感銘を受けた。そんな彼女の受け売りもあって、わたしがとくに足繁く通ったのは、「TEXTILE HOUSE」というチェーン店。プラハ市内に何店舗かを構え、観光客はもちろん地元の人びとからも愛される、言わずと知れたセカンドハンド・ショップだ。中でもわたしが最も訪れたのは、ほんとうに街のど真ん中、と言っていい場所にある店舗で、行けば必ずチェックする場所も決まっていた。試着室の前にこぢんまりと用意された、ヴィンテージの洋服たちが並ぶラックだ。

 プラハに住む以前、18歳からの8年間は東京で過ごしたこともあり、わたしには古着好きの友人がたくさんいる。というか今では彼らのほとんどが、「好き」が嵩じてそれを生業としてしまった。そのファッションに対する熱意はすさまじく、彼らが被服品について語るときなどは、まぶしいな、と思いながらそれを聞いたものだった。そこには、きっとわたしが、自分の身に付けるものにここまで愛情を傾けることはないのだろうな、という後ろめたさが含まれていた。とくに当時のわたしは、ぴかぴかに新しくて機能的なものを愛していたから。なんでも自分が最初に手をつけたい、という気持ちも、あったのかもしれない。そもそも古着って、すでにほかの誰かが着たものだしなあ。なんかばっちい感じがするじゃん。だから古着を手に取ったときの、あの独特のにおいとか、謎の肩パッドとか、好きになれる気がしなかったのだ、どうしても。

 そんなわたしが、だ。件の古着屋はヴィンテージ・コーナーで、ハンガーをかちゃかちゃとずらしてほかの洋服をかきわけ、一着のワンピースを手に取った。触った瞬間に、あっ、好き、と思う。さらさらとした皺になりづらい生地、品はあるけれど年増に見えない丈とシルエット、繊細に施されたプリーツ、混じり気のないネイビー・ブルー。首元と腰に細いリボンがついていて、きゅっと絞ってマークするのだ。完璧。着てみよう。目の前の試着室の列に並ぶ。並んでいるあいだもしげしげとそれを眺めながら、もし似合わなくても買って帰ろう、と思った。それくらい心惹かれる一着だった。ほかの誰かに取られてはかなわない。心臓をどきどきさせながら待っていると、前の人がカーテンを開けてでてきた。おもむろに靴を脱ぎ、カーテンを閉め、自分が今着ている服を脱ぐ。スカートの下から頭をくぐらせ、袖を通し、ボタンを全部閉め、さいごにリボンを結ぶ。鏡に映った自分の姿を見て、涙が出た。だって、間違いない。この服は、わたしが来るのをここで待っていた。

 

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 ぴかぴかに新しくて機能的なもののことは、今でも愛している。無駄がなく研ぎ澄まされたアイテムにはそれ相応の美学を感じるし、なにかの歴史が自分から始まっていくことって、やっぱり魅力的だ。けれど、対して古いものは、「すでに誰かが築いてきてくれた歴史」を持っている。そしてそれに気づかせてくれたのは、とても現実とは思えないほど美しい街に立ち並ぶ、古い古い石造りの建造物と、そこに住むチェコ人たちの、ものを大切にする精神だ。

 だからこのワンピースを着るたびわたしは、いつでも特別な気持ちになる。そこには、袖を通すたびに呼び覚まされる愛しい記憶がある。この服が歩んできた過去と、この服とともに紡いでいく未来がある。知性をあらわすネイビー・ブルーを纏うたび、背筋がしゃんと伸びる。そうしてわたしは、無敵になる。まるで、哲学そのものを着ているみたいに。