はざまの時間について

 

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 ここ何回かに渡って書いている、4月に入学した通信制大学について。そこに至るまでの経緯を、いまさら説明しておこうと思う。

 私がチェコ共和国での遊学を終え、COVID-19の影響を受けずに済んだスレスレのタイミング(いま考えれば本当に、本当に奇跡だった)で日本へ帰国したのが去年、2020年の2月1日。地元新潟へ帰ってくるなり、インターネットで適当に仕事をさがした。みつけたのは、これまた半分遊びの延長かのようなスキー場ちかくの求人。決まるや否やバッグひとつ持ってそこへ住み込み、真っ黒に雪焼けするまで毎日スノボに明け暮れた。

 ゲレンデが閉まるとともに、そんな冬休みともリハビリともつかない仕事を終える。そのあとは、あれよと実家へ転がり込み、4月はまるまる本物のモラトリアムと化した。

 で、5月。家から片道15分ほどで通える仕事にありつき、フルタイムのフリーターとなった。何かと融通を利かせてくれる上司と気のいい同僚たちに恵まれ、この仕事は未だに続いている。今の会社に入社して半年ほどで、仕事の合間に勉強する習慣を身に付けた。それから緊急事態宣言の合間を縫って受験した2度の英検は、2度とも無事に合格した。

 以上、頭の中を整理するために最近のことをざっと書き出したのだが、日本での大学への編入を考え始めたのは、実はもっとずっと前。チェコ共和国はプラハに住んだ年の夏、2019年の6月頃だった。

 遊学、とはじめに銘打ったとおり、私がプラハで通っていたのは単なる語学学校だった。言い方は悪いが、お金を払えばだれでも通えて、イコール魅力は、自分が望んだ期間のぶんだけビザが取れること。大人になってから自分の意志で単身海外へ住むとなったら、妥当な手段だろう。そして、プラハでの生活にあらかた慣れてきた頃、欲を言えばわたしは、もっともっと勉強したくなっていた。

 そうなると、「外国語を学ぶ」のではなく、「外国語で学ぶ」ことに本腰を入れたいところ。チェコにかぎらず、英語圏への移住も視野に入れて、現地の大学への正規留学を考え始めたのは、まちがいなくこのタイミングだった。しかし、そもそも1年間と決めてビザを取得したから、ハナから日本への帰国は決まっている。移住した場所が気に入ってそのまま住み着いてしまう人だって少なくないだろうが、わたしとしては、この時点でその手段はピンと来ていなかったのだと思う。くわえてこの期間、数多の留学記を読みあさり、諸先輩がたの経験談や失敗譚に片っ端から目を通していたわたし。そこで得た教訓として、まあ言わずもがなといえばそうなのだが、やっぱり留学を終えた後の目標がないと、燃え尽き症候群のようになってしまうというのだ。わたしはそれが、本当に怖かった。だから。

 ここでの生活を思う存分満喫したあとは、一度日本へ帰国して、準備の末にもう一度外へ出ていこう。

 それがこの時点でわたしが自分に下した、現在につながる決断だった。

 本当にこの時期、留学生の先輩たちが書いたブログはすべて目を通す勢いでインターネットの海を泳いだ。中でもレジェンドのような方が書かれた記事が、のちの私に、大いに影響をあたえることになるので以下にリンクを貼っておく。主としてアメリカ渡航を専門とする、留学コンサルタントの栄陽子先生が書かれたコラムだ。

https://www.ryugaku.com/info/sakaecolumn/syougakukintofirstfood.html

(※もっとも読んで欲しい記事ではないのだが、該当記事が見つけられなかったので一旦これで失礼する。見つけしだい貼りかえておく。)

 私が「放送大学」という単語を拾って意識しはじめたのは、彼女が書いたコラムを読んだのがきっかけだった。この記事によれば、まず日本で働いて留学資金を貯めながら、そのあいだに通信大学へ通い、しれっと単位を取っておいてしまおう、というのだ。あまりにも現実的、かつ合理的すぎて笑ってしまう。いまとなっては、留学費を極力抑えたい受験生たちの手段として決してマイナーではないようだが、当時のわたしは衝撃を受けた。というか、膝を打った。なるほど、そういう方法もあるのかと。しかし、もっとも驚いたのはそこではない。この情報を公開しているのが、海外留学の”受験生”ではなく、それを”斡旋する側”ということだ。

 コンサルの立場からみれば、目先の利益だけを考えたら、借金させてでも生徒を現地の大学へ送り込んで、さっさと留学させてしまう方が手っ取り早いのは自明だ。しかも相手が、なにも知らない純粋な若者ならなおのこと、言いくるめるのは簡単だろう。しかし栄先生は、どこまでも現実的なのだ。手段もそうなら、本人の言動も。メリットもデメリットもきちんと説明したうえで、それでも行きたいなら全力でバックアップする、という姿勢を辞さないのだろう。

 わたしの話に戻る。彼女のおかげで、プラハ在留中に早くも、日本へ帰国後の大方のビジョンがみえた。つぎの留学先がどこへ決まってもいいように、帰国したらまず、英語を勉強しなおす。ずっと逃げていた車の運転も、ここでモノにする。ダイエットもするならこのタイミングだろう。それから、お金に余裕があれば、ずっとやりたかった歯の矯正と、永久脱毛もしておく。そしてなにより、大学に編入して、日本の大卒資格を取っておく。そうと決まれば、もう迷わない。

 以上が、留学中に悶々と脳内で繰り広げられていたわたしの未来予想図だった。ちなみに、まさかここまで忠実に再現されるとは思わなくて、誰よりもわたしが驚いている。それから、たしかに落ち着いてじっくり勉強したいとは思っていたけれど、まさか凶悪なウイルスが全世界を支配して、旅行はおろか自宅からの外出自粛を余儀なくされるなどとは、つゆほども思っていなかった。

 しかし、だ。いつだって、探せばできることは絶対に、どんなに小さくたって見つかるはず。絶望して立ち止まることは、希望を持って歩き続けるよりもずっとずっと簡単だということを、わたしは知っている。わすれてはならないのは、一番のライバルも一番の味方も、家の外じゃない。いつだって、鏡の中に住んでいるということだ。

 

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