やめずに転職活動 Day.1

https://naoumezawa.tumblr.com/post/647084890546929664


 突然だが、本日付けで、今日までおよそ一年半勤めた会社を退職した。ワーク・ライフ・バランスが云々、などと謳われて久しいが、自分自身にまつわる「労働」ということにかんして深く考えたのは、思い返せばこれが初めてかもしれない。今日もそんな、とるに足らない記録のひとつ。題して、「やめずに転職活動 Day.1」。

 転職そのものを考えたことは、程度の差こそあれど、人生においては数えきれないほどある。その中には、前向きな理由も、後ろ向きな理由もあれば、理由という理由などないけれど、ただなんとなく仕事を変えたいという気まぐれすら含まれていた。しかし、結果的にそれまでの社会人人生で、わたしが会社を変えたのは三回。しかも、一度目は引き抜きによる業界内転職、二度目は独立(からの留学)、三度目はコロナ禍のあおりを受けた自主退職という、おそらく一般的にみればイレギュラーな事態が続いていた。とりわけ、完全な自分の意志で「A社からB社に乗り換える」というような経験をしたことは、今まで一度もなかったのだ。

 

View this post on Instagram

 

🤡(@nao_umezawa)がシェアした投稿


 ところで、インターネットの波を泳いでいると、ある種の洗脳さながらに、時折こういう文言を見かける。「脱サラして自由の身を勝ち取った」、「これからは好きなことだけやって生きていく」。たいていの場合、その先には怪しいビジネスへの誘導が待っているから、そんなものを真に受ける人はごく少数であると信じたいのだが、さておき。その背景には、雇われは悪、自営業こそ至高、という謎の文化が見え隠れしている。しかし、これには疑問を抱かずにはいられない。なぜならわたしは、会社勤めが好きだからだ。

 (14歳からその道を志し、実現させたうえで)写真の仕事に従事し、東京で生活していたこと。さらには、自らの意志で単身海外に居住したという経歴が、おおまかにはその先入観を生むのだろう。わたしは周囲から、「ふつうの人生には面白みを見出せず」「ルールに縛られずに生きることが好き」な人、だと思われがちだ。しかし、フタを開ければ日本在住・会社員の梅澤さんは、挨拶も身だしなみもきちんとしていて、基本的には無遅刻無欠勤、品行方正でもくもくと仕事をこなし、言われたことは真面目にちゃんとやり、そのうえで結果も残す(という評価を査定ではある程度受けてきたのだが、事実と異なったらごめんなさいね)。

 ということは、だ。特にこの頃は。まあ、なんと抑圧されて生きていらっしゃるの…さぞ日本の田舎での生活は退屈でお辛いでしょう…という憐憫の目を、これでもかと向けられる。が、ちょっと待ってほしい。誤解もいいとこである。まず第一に、海外生活すなわち自由、といった発想が出てくるらしいのだが、「郷に入っては郷に従う」ことのできない人間は、日本はおろか、海外でも生活できない。理由は簡単で、その国で定められたルールを守れない人間は、ふつうに捕まるし、最悪死ぬからだ。よくて強制送還、といったところか。

 そもそもこれは、「決まりごと」がなぜ存在するのか、という問いから始まる。多くの人は「ルール」と聞くと、自分たちを縛り上げるよくないもの、といったネガティブな連想をするようだが、おそらくは真逆だ。決まりごとは、その対象をどこまでも守るために存在するとわたしは思っている。だから、それを守らなかったら死ぬ、というのは大げさでもなんでもない。車両は右側通行、という道路交通法が制定された国で左車線を走ったら、対向車にぶつかって事故を起こすのは自明だ。生死には関わらないかもしれないが、もっとも根本的な「言語」の話をすれば、「文法」というルールを守って話さなければ、自分の主張は目の前の相手にすらただしく伝えられない。ルールは、相手と自分自身、両方を確実に守るためにこそ在る。

https://naoumezawa.tumblr.com/post/654771143787544576

 さて、パブリックイメージの話に翻る。たしかにわたしは、自由な人間だ。人の話はまるで聞かないし、なんだってひとりで決めて、タイミングが良ければそれを実行してしまう。しかしそれは、守るべきところは当然守ったうえでの話だ。自分が知りうる範囲なら、法を犯すことはまずない。時間も約束も、基本的には守る。ただしそれは、「ルールを破って誰かに怒られるのが嫌だから」ではないこともたしかだ。ただ単純に、遠くにぼんやりと見えている巨大なリスクを、手前の小さな段階でなるべく小まめに摘む作業を怠らない、というだけで(もしかしたら人はそれを、”真面目”と形容するのかもしれないが。)

 そして、わたしが会社員という身分を好む理由も、ここに起因する。社則というのは、もちろん会社の数だけ存在する。それらを、単に守るだけではない。そもそも、なぜ制定されたのか。どうしてこれが必要なのか。そうやってひとつひとつ観察し吟味していく機会は、会社員という立場でしか得られないのだ。もちろん、民間企業であればなおさら、それらすべてが、必ずしも万人に向けられたものではないだろう。笑ってしまうほどくだらない項目だって含まれているかもしれない。しかし、その取捨選択そのものの可否が、雇われている身、すなわち会社から守られている身分でなければ、少なくとも受け取れないのだ。

 わたしはたかだか1-2年ではあるが、カッコつけて言えばフリーランス、端的に言って自営業だった時期がある。だからこそ言えるのだが、「仕事」と名のつくものすべてを自分でこなしていた立場から見れば、「会社」という組織ほど尊ぶべき存在はない。ひとりで全部やっていると、そもそもどこからどこまでが仕事なのかわからなくなってくる。そのうえ、会社であればそれぞれのプロ(総務、経理、エンジニア、マネージャー、現場監督etc…)が担っているりっぱな職業に、必要とあらば自分が成り代わなければならない。この手の届く範囲ですべてが完結している、という点ではもちろん安心できるだろう。しかし、これを自由と呼ぶのなら、少なくはない対価を払っているのもまた事実だ。その証拠に、あらゆるフリーランサーがそうであるように、わたしも確定申告の時期が来ると胃痛が止まらなくなり、一日中胃薬を飲んでいた。

 …余談はこの辺にして、肝心の転職活動について書こうと思っていたら、ここまでが長くなりすぎた。次回へつづく。