わたしとインターネット

 

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 1992年うまれ・ミレニアル世代のわたしが、インターネットとあゆんだ軌跡をたどるシリーズ。今日はいよいよ最終章、「わたしとインターネット」。読むも語るも、お疲れ様でした。

 さて、必要に駆られて勢いのまま本名フルネームのドメインを取得し、HPを作成したわたし。無論、今も運用しているこのサイトにほかならないのだが、この時点ではまだ、それまでに撮影した写真の作品と簡単なプロフィールを載せておくに過ぎなかった。しかし、前回までの投稿を読んでくれた懸命な方なら、このことがわたしにとってどれだけの意味と重さを持つかは、想像に難くないだろう。

 ちなみにその後、大事なことを思い出してボスのHにも伝えたのだが、チェコには学生ビザで滞在していたわたしは、課外時間で得てもいい収入に相当な限りがあった。HPを作るきっかけを与えてくれたことには今でも本当に感謝しているが、そもそもここで、フォトグラファーとして本腰入れて活動するつもりは毛頭なかったのだ。結局、Hと彼が率いるコミュニティに属する仲間たちと一緒につるんで、国の機関から怒られない程度に、遊び半分仕事半分のような活動を続け、それはそれで何物にも代えがたい時間を過ごしたのだが。

 しかし、楽しい時間は永遠には続かない。以前にも軽く触れたとおり、あらかじめ期限付きだったチェコへの滞在。まだまだ記憶に新しい、2020年の2月。わたしが日本へ帰国するのと時同じくして、地球全体が、忌わしきCOVID-19の犠牲者となってしまった。怒涛のごとく世の中が変わっていったのは、言うまでもない。「当たり前」のことなど何ひとつ存在しないのだと、人類皆が思い知ったことと思う。

 そうした環境の変化もあり、(多くの人がきっとそうであるように)わたしも今まで以上に、仕事以外の時間ほとんどすべてを使い、自分自身と向き合って過ごすようになった。COVID-19がもたらした数々の悲劇を肯定するつもりは死ぬまでないが、前を向いて歩き続けるためには、これもいい機会だと自分に言い聞かせるほかない。帰国直後から半年ほどは毎日、自分ひとりで悶々と考えては表現の方法を模索していた。何かできることが、探せば必ずあるはずだ。そう考えていたのは、もちろんわたしだけではなかった。コミュニケーションや仕事のあり方に対する変化に柔軟に対応できる人びとが、インターネットの利点をどんどん活用しだした。それに応じて、人間関係や物事のあり方は、いかようにでも形を変えた。身近なところでいえば、ほとんど電子製品アレルギーだったと言ってもいいわたしの実母や祖母までもが、あらゆるデジタルガジェットやオンラインサービスを使わずには、満足に生活できないまでになった。

 そこにはもう、かつてのオンラインとオフラインの間にあった強固な壁など、ほとんど存在しない。目には見えていたとしても、軽く叩けばすぐに壊れてしまうほどの脆さになっていた。少なくともわたしの目には、そう映ったのだ。

 何をどういう形で発信していこうかと考えている間、今まで使っていた「ゆめ」のアカウントも、本名であるこのアカウントも、半年ほどは両方眠らせていた。そして、こういう風にやってみよう、と、ある種の決意を固めたわたしが名乗ることにしたのは、産まれたときに両親が与えてくれた、本名のほうだった。これが、2020年の8月。ドメインはそのままに、よりシンプルなデザインに変えて、このサイトを個人のHPとして再始動することにした。それからは、コンテンツを少しずつ増やし、コツコツと更新を重ねる毎日。主として日記を書き、そこに自分で撮影した写真を添えるスタイルは、わたしがインターネットで発信を始めた15年前と、結局何も変わっていない。しかし前とは、すべてが違う。今は自分自身の実感だけでしかなかったとしても、積み重ねればきっとそれは、他者にも波及する。そういう、静かだが熱い確信が、わたしを支配していった。

 そんな折、「風の時代」という言葉を、やたらと耳にするようになった。2021年を迎えて間もなくのことだったと思う。詳細については、わたしよりもずっと詳しい方々がそこら中で情報を公開してくれているからここでは割愛する。ただ、とにかくこの価値観が、今後も継続してわたしがやっていきたいことと、こうありたいと渇望するライフスタイルに呼応した。さらなる知性の追求。それから、物質的なものにとらわれず、自由にいきていくこと。インターネットとの関わり、という側面から見て、最後の最後まで捨てられなかったものと、わたしはこのタイミングで、決別することにした。

 忘れもしない、2021年3月31日。およそ10年にわたり、ずっとずっとその本体を守ってくれた「ゆめ」というもうひとつの名前を、わたしは手放した。そして、主に発信していたInsatgramのアカウントに始まり、それに付随する、「ゆめ」として契約していたすべてのサービスを解約した。それは同時に、今後はどこにいても何があっても、自分の名前を冠した著作物、そのすべてに対して自分自身で責任を取ることを意味する。わたしはそれを、自分を重く縛り痛めつける鎖だと、ずっとずっと信じて疑わなかった。だから、怖かったのだ。一度電波の波に乗せたら、半永久的にそれがデータの世界に残るということ。自分が表現したものを、見ず知らずの相手に届ける形で発表するということ。どうして怖いのか、自分が一番わかっていた。それがわたしの、一番やりたいことだからだ。

 だとしたら。

 だとしたらそれを全部、逆手に取ればいい。ただ誠実に、残す価値があるものを作ればいい。どこかの誰かが知りたいと思ってたどり着く、情報のひとつになればいい。後ろめたいことがないなら、堂々としていればいい。それでも糾弾されることがあったとしたら、自分の非を認めて、素直に謝ればいい。反省して、また前を向いて、成長し続ければいい。ただ、それだけ。ひとつひとつと向き合っていけば、現実のこの世界と、何ひとつ変わらないじゃないか。

 −そう覚悟を決めて挑んだら、壁は、簡単に壊れた。

 今、わたしの目の前には、ただどこまでも広く広く、青い海と空が広がっている。この途方もなさが、かつての自分を苦しめていたことを絶対に忘れない。だって、だからこそわたしは、自分の選択次第でどこへだって行けるのだということを、わたしは自由そのものなのだということを知ったのだから。

 いとしのインターネット、今までありがとう。きっとまだまだ色々あるだろうけれど、これからもどうぞよろしくね。

 

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