インターネット3.0 -ver.1-


 1992年うまれ・ミレニアル世代のわたしが、インターネットとあゆんだ軌跡をたどるシリーズ。第三回のきょうは、いよいよ佳境。題して、「インターネット3.0 -ver.1-」。

 「ゆめ」としてブログを更新する日々が続き、ささやかではあるが、インターネット上に自分の居場所ができ始めたわたし。公私ともに(?)充実した日々が続き、あっという間に高校三年生となった。ということは、だ。いよいよ卒業後の進路について、決定しなければならない時期が近づいていた。

 しかしながら、工業高校のデザイン科に在籍し、依然としてCさん(当時は関西圏在住の美大生だった)を崇拝しているわたしの選択肢は、そのテの道に進む以外あり得なかった。それこそ最初は、本当にCさんを追いかけて関西の美大に通おうとしていた。が、就職のことを考えても、長期休みには地元新潟へ帰りたいという観点から見ても、東京に進学するのがベターなのではという結論に至る。今回の本題はインターネットについてだからこの辺りはいったん端折るが、結局わたしは専攻を「写真」に絞り、東京の専門学校への進学を決めた。大学のように大掛かりな受験はないから、願書を提出して入学が決まったあとは、もう残りの高校生活をエンジョイするだけだった。

 さて、東京に単身移るということは必然、生まれて初めての一人暮らしが始まる。これから上京する数多の若者の例に漏れず、わたしも都会暮らしに無限の可能性を感じ、期待に胸を膨らませたものだった。何よりこの時期、インターネットとの間に、また新たな関わり方が加わった。高校卒業が決まったわたしに(もちろん欲しがったからではあるが)、両親がiphone4を買い与えてくれたのだった。世間的にもこの頃、ちょうどガラケーからスマートフォンへの過渡期を迎えていたと思う。

 その後、無事に高校を卒業し、東京への引越しを終える。つるつるぴかぴかのiphone片手に、つるつるぴかぴかのおのぼりさんの、都会暮らしが始まった。何もかもが真新しかったこの頃、入学した専門学校で、放課後に始めたバイト先で、次から次へと新しい友達ができた。学校で使うからと称して、iphoneに加えて新たにMacBookを買ってもらったこともあり、「ゆめ」として続けているブログに書くネタは、毎日尽きなかった。

 そんなキラキラの数週間が続いた折、突然の機会が巡ってくる。なんと、わたしが高校卒業・上京したのと時おなじくして、関西に住んでいたCさんもまた、大学卒業・就職で東京に住みだしたというのだ。しかも、TwitterのTLを更新して仰天したのだが、彼女が卒業制作で焼いた映像作品のDVDを、欲しいと希望する人には郵送し、もしもできるなら直接会って、手渡しすると言い出したのだ。

 わたしがそのお知らせを、読んだままの勢いでCさんにコンタクトを取ったのは言うまでもない。気さくなCさんはすぐに返事をくれ、わたしが渋谷の学校に通っていると言うと、じゃあ数日後に、渋谷で待ち合わせましょうと約束してくれた。

 

 約束の日、渋谷西口モヤイ像前。

 

 できる限りのおしゃれをして、喉から心臓が出るのではないかと思うほど緊張しながら、約束の時間より30分も早く待ち合わせ場所に着いて、付近を当て所なく歩き回っていたわたし。余談だが、いくつかの「生まれて初めての経験」に天から恵まれていると自覚しているのだが、今にして考えても、これもそのうちのひとつだ。当然ながら、「インターネットを介して実際に人と会う」という経験は、これが人生で初めてだった。それが、しかも、14歳から憧れに憧れ抜いた、神様みたいな人と会えるなんて。もう今日が終わったら死ぬんだろうなわたしは、ていうか一生来ないんじゃないかなCさん、だとしたらそれはそれでいいな、夢は夢のままで…などと悶々悶々考えながらモヤイ像と対峙するわたしの背後で、そのとき誰かが、わたしを呼んだ。

 

「ゆめちゃーん!」

 

 その声に、ハッとして振り向く。声の主を視認した瞬間に、思った。

 

 (妖精だ…。)

https://naoumezawa.tumblr.com/post/647078349630570496

 −今はどうか知らないが、少なくともその当時、わたしたちが待ち合わせをした渋谷駅西口のそのエリアは、喫煙所が設置されており、常に臭くて煙かった。というかそもそも渋谷という街に対し、とてもじゃないが清潔な印象を抱いた試しなど一度もない。Cさんに会った、その瞬間を除いては。

 もう、とんでもないのだ、Cさん。まずその「場」の不浄さを、一瞬で帳消しにした。それどころか、ありきたりな表現をすれば、完全にCさんの周りだけお花が舞っていた。というか、この世界に存在するお花畑はすべてCさんに起因すると言われたら、一瞬で信じる。小さくて、華奢で、やさしくて、かわいくて、ニコニコしているピンクの妖精さん。その本物の、破壊力たるや。Cさんについて、事前にある程度の想像をしてきてはいたものの、そんなものはとっくに彼方へ飛んでいってしまった。

 しかし、そこまでの衝撃を味わうと、かえって人は冷静になるのかもしれない。何かが弾けたわたしは、想像よりずっとかわいくて素敵な方で安心しました、というような、わりかしまともな文言をCさんに投げかけたような気がする。謙虚な妖精は謙遜していたが。

 それから、立ち話もなんだし…と、我々は二人で、手近なカフェに入った。向かい合ってお茶を飲みながら、ありとあらゆる話をしたあと、一応本題のDVDの話になる。するとCさんが、わたしの自宅がここから電車で一本だから、家で一緒にその作品を見ないかと提案してくれたのだった。無論、二つ返事で承諾した。

 初対面の相手を自宅に招いて、相手も拒否せず受け入れるという状況。この部分だけを切り取ると、見方によっては道徳的にありえないのかもしれない。しかし、わたしはこの辺りから、自分が心から信じた相手になら、言ってしまえば何をされても構わないというか−その時々の自分の選択に対する覚悟を、決めてきたのかもしれない。もちろんそれは、最初の相手がCさんという、徹頭徹尾人格者である優秀な女性だったという運の良さも多分にあるが。

 ともあれこのあと、わたしは本当にCさんの自宅に伺う。抜かりなくかわいいお部屋で、一緒にDVDを見ながら、未だに死ぬまで宝物と思える時間を、その日さよならする瞬間まで過ごした(余談だが帰り際、最寄駅の改札まで見送ってくれたCさんは、わたしの姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。こんな人がふたりと存在するだろうか)。そして、Cさんのおかげでわたしは、自分が素晴らしいと感じたひとやものは、誰がなんと言おうとやっぱり素晴らしいのだと、かつ自分のその感覚を、信じていいのだという確信を、このときに得たのだと思う。