インターネット2.0


 1992年うまれ・ミレニアル世代のわたしが、インターネットとあゆんだ軌跡をたどるシリーズ。第三回のきょうは、「インターネット2.0」と題して続けていく。

 前述のとおり、神様Cさんと一方的な出会いを果たしたわたし。Cさんみたいなひとになりたい、という願望以外ほとんどすべての自我は消え失せ、いても立ってもいられなくなった。とにかく行動に移さなければ、と考えた結果、とりあえず、インターネット上でなにか発信できないか、という模索が始まる。

 実を言うと、それまでも数回、無料のレンタルサーバーを使ってブログやHPの作成を試みたことがあった。しかしそのいずれもが、同じくパソコンを持つ数少ない学校の友人と遊び半分で共有したに過ぎず、もちろん更新も続かなかった。ただし、今回はわけが違う。この時点ですでに、わたしがコンテンツを届けたい相手は「顔も知らない、彼方のひとたち」に取って代わっていた。

 2000年代初頭(というと広すぎるかもしれないが)のインターネットといえば、一般人が実名で発信するなど、まだまだ本当にありえない時代だった。14歳のわたしが本名フルネームでブログを書いてインターネットで公開することと、全財産を置きっぱなしにした自宅の不在を自ら泥棒に大声で知らせることの、なにが違うというのだろう。大げさではなく、当時はそのくらいに感じていたのだ。慎重すぎるほどのわたしのITリテラシーは、思い返せばここで完全に培われたのだが。

 したがって、まずはハンドルネームを決めることになる。当時のわたしにとって、インターネットは現実と乖離した、非現実の−いわば「夢」のようなフィールドだった。じゃあ、それでいい。漢字にするのもなんだかな、と思ったから、ひらがなで「ゆめ」。まさか軽い気持ちでつけたこの名前を、その後十余年も使うことになろうとは当然思いもしないのだが、それはまた追々。

 名前が決まったところで、今度はプラットフォームを構築しなければならない。以前に遊びで得た知識に、今度はひとりで肉付けをしていく。帰宅してから夜中まで、自分の知りたいことに関して、あらゆる角度から検索を重ねた。色んなサーバーを使ってみながら、試験的にブログやホームページを作り、タグをひとつひとつ手打ちしてはF5キーを打鍵して、きちんと反映されているか確認していく、地道な作業が続く日々。このときの、ささやかな変化に喜びを覚える感覚と辛抱強さは、確実に今に通ずるものがある。(余談だが、おおよそこの時期から、わたしはウェブサイトを含む他人の創作物一般を、「受け手」としてではなく、「作り手」として研究するようになった。)こうして試行錯誤を重ねるうちにあれよと時は流れ、結局Cさんを真似た「写真付き日記」を公開するに至る頃には、わたしは中学校を卒業し、高校生になっていた。

 そんな折、忘れもしない出来事が起こる。完全にパソコン中毒のアイデンティティが形成されたピカピカの高校一年生のわたしが、現代社会の授業、第一回目を受けているときだった。話題の一環としてだろうが、先生がクラスに向かって「えー、この中で、ケータイ持ってない奴いるか〜?」と投げかける。当然、いない前提で訊いているに決まっているにも関わらず、スッ…と手を挙げた生徒が、たったひとりいた。わたしだった。無論、狼狽した。わたしも先生も。まあ家庭の方針とか色々あるよな、みたいな感じで先生にはお茶を濁されたが、大変気まずい思いをしたわたしはその日に帰宅するや否や、親にケータイを買ってくれるよう打診した。高校生になったら持たせてあげるつもりだったのに、あなたがいらないって言ったんでしょう…と母親は呆れていた。おっしゃる通りである。

 慌てて買ったシロモノだったが、ひとはいくつになっても、いったん新しいおもちゃには夢中になるのかもしれない。一週間後に受け取った、ピンク色のパカパカ開くちいさくて薄いガラケーは、それはそれでパソコンとは違ったかわいらしさがあった。その時点でクラスメイトがとっくに終わらせていたメアド交換に遅ればせながら参入し、女子高生らしく、友人たちとの取るに足らないやり取りを楽しむ日々が始まった。

 しかしながら、だ。それでもやっぱり、わたしにとって「ケータイ」は、なにかを表現する場所ではなくて、単なるコミュニケーションツールだった。顔見知りの知人と会話の延長をそこでも続けているに過ぎず、とてもじゃないが、それを使ってなにかを発信する気にはなれない。結局、高校生になっても帰宅後のわたしは、お尻から根が生えたようにパソコンの前から動かなかった。

 匿名でブログを書き始めてから、1~2年が経った頃だろうか。「Twitter」なるサービスが、愛読しているブロガーさんたちの間で流行り始めた。なんだか分からないが見よう見まねでわたしも登録し、なんだか分からないまま「読書なう」とか「課題だん」とかつぶやいてみる。今これを打ちながら、あまりのくだらなさに頭を抱えているのだが、当時はなにか、とんでもない大人の遊びに手を出したような、謎の高揚感があったのだ(みんなもそうだったと思いたい)。この遊びが「SNS」という括りに区分されると知るのはそれから数年後の話なのだが、ともあれここで、一方通行だったコミュニケーションに、変化が生まれる。「フォローする/される」という機能が当然そうさせたのだが、「知らない人にコンテンツを見せる/知らない人からそれを受け取る」だけだったインターネットで、わたしは知らない人と、交流するようになったのだ。

 (これは今もそうだが)そもそも”恋愛”に対して比較的興味がないことと、矛盾するようだが、中学時代の同級生とお付き合いするはこびとなり、生まれて初めての彼氏ができたこの時期のわたしは、インターネット上の異性には目もくれず、同世代の女の子たちとばかり仲良くさせてもらった。おのおのが自分のHP

なりブログを持っていて、お互いのリンクを自分のページに貼って紹介していた。ただし、お互いのプライバシーについては深掘りしないのが暗黙の了解で、無論みんな、仮の名前を名乗っていた。

 注釈しておくと、わたしは学校が、特に高校は、大好きだった。「一日だけ過去にもどれるなら」というたとえ話にひとはしばしば花を咲かせるが、わたしは間違いなく高校三年生の、なんでもない一日を選ぶだろう。だから決して、なにかの逃げ場や隠れ蓑としてインターネットと接していたわけではなかった。そもそも運営しているブログも、登場人物や地名を伏せて日々あったことを題材にしているのだから、これは言うまでもないのだが。

 しかしこの頃たしかに、現実世界のわたしとインターネット上の「ゆめ」は、人間性に差異こそないが、完全に別の世界で生きていた。そして、その二つの世界は、交わることなんてなかったのだ。

https://naoumezawa.tumblr.com/post/649238346384785409