おとなの大学受験

 たとえば、インターネット上でちょっとしたアンケートに回答しているとき。スクロールしていった先で、「現在の職業」を問われると、指がいったん止まる。答えに窮する理由は、やましい仕事(実際はそんなもの存在しないのだが)に従事しているから−では決してない。わたしは、フルタイム勤務のフリーターにほかならない。しかし、作家として活動しているのも事実で、くわえてこの4月から、大学へ入学してしまったものだから、「いったい何者ですか」と問われて、説明に詰まるのも無理はないと思っていただきたい。

 わたしが今から履歴書の作成に着手するとして、最終学歴の欄には「専門学校(2年制)卒業」と記入する。誰もが認める優等生でした、と威風堂々豪語するには決して至らない学生生活だったが(絶対に卒業できないと、周りもわたし自身も全員が一様に思っていた)それなりに楽しかったし、得るものもたくさんあったと思う。友人や先生方の中には、今も懇意にしてくれているひともちらほら数えられる。卒業後は、学んだ分野に関係する仕事にもきちんと就いた。ここで念押ししたいのは、高校卒業後、専門学校に進んだという選択肢に、後悔はないということだ。

 話を10年後にもどす。社会に出てわたしは、好きなことを仕事にしたあと、自分の意志とお金で海外にも住んでみて、こころもからだも(すくなくとも10年前よりは)大人になった(と思いたい)。そうして、自分の未来にかんする、数えきれないほどたくさんの、魅力的な可能性があることを知ったのだ。大人になったわたしはここで、できる限りフラットな視線で、自分のこの先の人生を見つめてみる。で、思う。やっぱりわたしには、「4大卒」という資格が必要だ。

 目下、わたしの目標は、1年間住んだ愛すべきチェコ共和国にもどること。くわえて、チェコ国立カレル大学を(英語ではなく)チェコ語で受験し、正規の学部生として入学することだ。下準備のために調べていたら、ここでまず日本の4大卒が必要ということを知る。なるほど、そうですよね。それに付随するようだが、前々から挑戦してみたいと考えていた「日本語教師」。この資格を得るためのベースとして(高卒でも取れないことはないようだが)やっぱり4大卒の資格が必要なのだ。

 何にせよ向こう数年間は、コロナの影響で身動きが取れないという状況も、大いに味方したと思う。しかも、ぎりぎりとはいえきちんと「卒業」した専門学校の単位を使えば、わたしが入りたい大学は、3年次の編入が可能とのこと。これはもう、決定。虎視眈々と書類を集めて時期を待ち、2021年4月。念願だった「大学」に、わたしは晴れて3年次編入生として入学した。

 なるべく安く学士が取れればいいや、くらいの気持ちで入った大学だが、ここでたいへん嬉しい誤算が起こる。勉強が、ほんとうに楽しいのだ。これもまた、ずっと腰を据えて学びたいと考えていた哲学・芸術・外国語を中心とした授業ばかり選択したゆえかもしれないが、授業をひとコマ終えるたび、脳内でアドレナリンが放出されるのがわかる。自宅で通信授業を受けているから、通常の大学とのちがいは、切磋琢磨できる相手が自分自身だけ、というところだろうか。また、留学に次いで学費を自分で支払っているというのも大きい。学びとれるものは何だって、1円ぶんのこらず地肉にしてやる−と燃える自分自身に、貧乏性はこういうとき本領を発揮するのだなと笑ってしまえるほど。そしてわたしは、じわじわと湧いてくる気持ちを抱きしめる。ああ、このタイミングで大学に入って、ほんとうによかった、と。

 自分が置かれた環境を呪うこと、状況を憂うことは、たしかに簡単だ。しかし、一流を目指す以上、ひとと同じことを考えて易きに流れていたのでは、いつまでも素晴らしいものは作れないし、ひとの気持ちも動かせない。言い換えれば、しんどい環境を武器に変えられたら、最強になれるチャンスは誰にでも等しく用意されている。何より、わたしはいつだって、自分の人生において、自分のしてきた選択が正解だったと思いたいのだ。